重要文化財「愛珠幼稚園」

園舎を一般公開します

投稿日:2012/03/24 更新日:

重要文化財「愛珠幼稚園」

 大阪市立愛珠幼稚園の創立は明治13年(1880)、創設者は、船場北部(現中央区平野町以北)の連合町会です。
 園舎は、最初、現在の北浜4丁目(大阪倶楽部北側)に建てられましたが、明治22年には連合町会から大阪市に移管され、以後、市立幼稚園となりました。
 現在の敷地に移転したのは明治34年(1901)で、当時の主席保母であった伏見柳らの原案をもとに設計がなされ、同33年4月に着工、翌3月に竣工しました。
 全体の構造は、敷地のまわりに瓦葺きの高塀を巡らせ、南正面には塀重門という格式の高い形式の門を置き、その北側には遊戯室の大空間を覆う大屋根が続く、格調高い外観です。
 遊戯室の天井は技巧が凝らされた格天井になっており、中央には古風なシャンデリアを下げています。内部の構成は、保育者の基本設計ならではの特徴が随所にみられます。遊戯室は周囲の壁面の上部に窓をめぐらせ、採光と通風を良くしています。床下にはおが屑を入れ、冷気と湿気が伝わってくるのを防ぐようにしています。園庭には土を盛り、廊下と同じ高さにし、出入りの際に園児がケガをしないように配慮されています。便所は保育棟の中にありますが、屋根と壁の間に間隔をあけ、換気ができるような設計となっています。通常の学校建築ではみられない御殿風といわれる建築は極めて稀であり、その堂々たる姿は、創設者である船場の人々の子弟教育にかける心意気を伝えるものとして、高い価値を有します。
 愛珠幼稚園は、現在も大阪市立幼稚園として運営されているため、日常的な公開はできません。ぜひ、この機会にお越しください。

現在地からルート検索
追加情報
内容:
 愛珠幼稚園(あいしゅようちえん)園舎の公開・解説を行います。
 見学を希望される方は、当日、直接会場へお越しください。
 また、園舎内での写真撮影はご遠慮ください。
 ※事前の申し込みは必要ありません。
定員:
 特にありません。
 ただし、一度に多数の方の入場はできませんので、入場整理をすることがあります。
参加費用:
 無料
ホームページ
http://www.ocec.ne.jp/yochien/kindergarden/aisyu/
所在地
大阪市立愛珠幼稚園(大阪市中央区今橋3丁目1-11)
交通機関
地下鉄御堂筋線・京阪電車『淀屋橋』から南東へ100メートル
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
2 人中 2 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
佐谷有吉博士像

●泌尿器科、皮膚科のパイオニア  明治17年(一八八四)、京都府生まれ。東京大学医学科を卒業後、大正7年(一九一八)から2年間、米国の大学に留学し、尿管の生理について優れた研究を行った。帰国後は、先進 …

山本能楽堂
山本能楽堂

●約650年の伝統文化を次の世代に  大正5年(一九一六)、先代・山本博之(やまもとひろゆき)が20歳のとき能楽の奥深さに魅了され、24世観世宗家に入門した。  昭和2年(一九二七)、徳井町に「山本能 …

井原西鶴終焉の地

●辞世の句を刻んだ碑が建つ 元禄6年(一六九三)に死去した浮世草子作家・井原西鶴の没後300年を記念して建てられた。 辞世の句「浮世の月 見過ごしにけり 末二年」が刻まれている。

小楠公義戦の跡

●破った敵への温かい心をたたえる  小楠公とは楠木正成(くすのきまさしげ)の子、楠木正行(くすのきまさつら)のこと。南北朝の時代、正行がこの地であった渡辺の戦いで大勝。橋から川に落ちた敵兵を救出し、衣 …

天満橋
天満橋

●町役人が行き交った橋は今、2階建て  江戸時代、難波橋・天神橋と並ぶ浪花の三大橋の一つで、幕府の直轄管理である公儀橋の一つでもあった。北区天満と中央区天満橋京町を南北に結んでおり、今も昔も人々の生活 …