●江戸時代、大坂随一の長橋
文禄3年(1594)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が架けたと伝えられ、当初は新橋と呼ばれていた。天満天神社が管理することから天神橋と呼ばれるようになったという。江戸時代は、幕府が管理する公儀橋。
なにわ名橋50選の一つ。
谷町線 天満橋駅
●京阪電鉄 北浜駅・天満橋駅
次の言語でも読めます: English, 한국어, 简体中文, 繁體中文
投稿日:2011/11/24 更新日:
●江戸時代、大坂随一の長橋
文禄3年(1594)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が架けたと伝えられ、当初は新橋と呼ばれていた。天満天神社が管理することから天神橋と呼ばれるようになったという。江戸時代は、幕府が管理する公儀橋。
なにわ名橋50選の一つ。
●破った敵への温かい心をたたえる 小楠公とは楠木正成(くすのきまさしげ)の子、楠木正行(くすのきまさつら)のこと。南北朝の時代、正行がこの地であった渡辺の戦いで大勝。橋から川に落ちた敵兵を救出し、衣 …
●衣食住の女神がご祭神 社伝によれば垂仁(すいにん)天皇18年の秋にお祀りしたのが始まり。当時は比売社(ひめのやしろ)と称していた。聖徳太子(しょうとくたいし)がこの地に布陣し、戦勝を祈願したという …
●近代上方漫才の原型をつくった作家 「大阪漫才の父」。歌碑文は、「渡りきて浮世の 橋を眺むればさても危うく過ぎしものかな」。玉造稲荷神社は秋田實の子どもの頃の遊び場。明治38年(一九〇五)生まれ、昭和 …
●今も現役の釣鐘 天満橋近くに釣鐘屋敷があった。釣鐘は重さ3トン、高さ1・9m。寛永11年(一六三四)、江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が大坂城を訪れた際に、大坂三郷の地子銀(じしぎん …
●大阪城を眺める絶好のポイント 大正14年(一九二五)、東横堀川の土砂を掘削する際、川底から「大坂橋 天正拾三年」(一五八五)の名が刻まれた擬宝珠(ぎぼし)が見つかった。大阪城天守閣に保存され、市民に …