生駒ビルヂング
いこまびるぢんぐ
次の言語でも読めます: English
投稿日:2017/03/10 更新日:
●未来に時を刻む
昭和5年(一九三〇)の完成当初は1階から4階までが陳列室や事務所、5階は畳敷きの大広間で洗面室などがあり、10代の丁稚が住み込んでいたという。デモクラシーの花咲く大正モダンの時代からまもなく、世界恐慌が始まり、やがて戦争へと入っていく時代の10年間、このビルは特に輝きを放った。引っ掻いた模様のスクラッチタイルに大きな焼き物のブロックのテラコッタ。これらは昭和のひと桁、10年間だけにはやった素材で、大きな特徴になっている。
●振り子時計
ビルの屋上には時計台。5・4・3階は出窓。そして2階の丸窓が入って、全体として振り子時計をイメージしている。設計は宗兵蔵(そうひょうぞう)で、非常に重厚な様式を重んじた設計建築が主だったが、昭和に入り民間の商店ということで、重厚という様式からはずいぶんはずれ、当時としてはかなり遊び心のある設計になっている。大正14年(一九二五)のパリ万国博覧会でアールデコ様式が花開き、従来の様式的なものから幾何学的なデザインが主流になってきた時代。その影響が大阪のこのビルにも色濃く表れている。
ホームページ
所在地
大阪市中央区平野町2-2-12
交通機関
●地下鉄堺筋線「北浜駅」
●京阪電鉄「北浜駅」
同じエリアにこんなスポットがあります!
-
●両替商創業の地 両替商が生まれたのは、大坂では寛永5年(一六二八)、天王寺屋五兵衛(てんのうじやごへえ)が始めたのが最初だという。約40年後には、公の機関「十人両替」が誕生。最大手の天王寺屋五兵衛 …
-
●堺筋がみていた大正モダン 大正11年(一九二二)、造幣博物館や神戸地方裁判所などで有名な河合浩蔵(かわいこうぞう)の設計。大日本報徳銀行大阪支店として建てられたが、のち新井証券を経て新井ビルとなる …
-
●大正時代に建てられたホテル 北浜付近は、大阪空襲の被害が少なかったことから、戦前からの建築物が今でもその姿を残している。堺筋から伏見町を西に入って一つ目の筋の角に立つ「伏見ビル」もその一つだ。当時 …
-
●平安時代より続く道 京都から大阪を経て、熊野権現の分霊を祀った九十九(つくも)王子をたどりながら、熊野三山へ至る道。それが「熊野街道」である。平安時代中期から鎌倉初期にかけて王朝貴族を中心に熊野信仰 …
-
●ドームの外観を残したシンボルタワー 大阪屈指のビジネス街・北浜。昭和10年(一九三五)に建った旧大阪証券ビル市場館は、シンプルなデザインでありながら、列柱が並ぶ楕円筒のエントランス部分が、北浜のラン …