少彦名神社

すくなひこなじんじゃ

次の言語でも読めます: English, 한국어, 简体中文, 繁體中文

投稿日:2012/04/23 更新日:

少彦名神社

●「神農さん」と呼ばれるわけは
大阪・船場の道修町(どしょうまち)にある少彦名神社は、「神農(しんのう)さん」とも呼ばれ、親しまれている。江戸時代、薬種商は、中国医薬の祖とされる神農氏の像や掛軸を床の間に祀っていた。当時、薬といえば長崎から輸入される唐薬種(漢薬)で、薬の真偽、品質の見極めが難しかったからである。その後、和薬種(国産薬)の取扱量が増加。安永9年(一七八〇)、京都の五條天神宮から、わが国の薬の神様、少彦名命(すくなひこなのみこと)の分霊をお迎えし、以前から祀っていた神農氏と合祀した。これが少彦名命と神農氏、2人の神様がいらっしゃる理由である。

●道修町 ― 商売人が文化人
道修町は薬種会社が多く、薬祖講という会をつくり、役員40名で神社の運営にあたってきた。江戸時代からこのあたり一帯は、町の人たちが子弟や丁稚のためにお金を出し合って塾や学校をつくり、商売と勉学を両立させていた。いろいろな知識を吸収しなければ、商売ができなかったのである。大阪薬科大学、大阪大学薬学部もルーツは道修町である。

●神農さんのシンボル
「張子の虎」神社の入り口には、注連柱(しめばしら)があり、その横には金色の虎の像がある。文政5年(一八二二)、日本でコレラが大流行。道修町薬種商では疫病除薬として虎の頭骨を配合した「虎頭殺鬼雄黄円」という丸薬を無料で施した。そのとき張子の虎をつくり、丸薬とともに神前で祈願をし、病除祈願のお守りとしてあわせて施与された。以来、「張子の虎」は毎年、11月22・23日に行われる神農祭のシンボルとして名高くなり、大阪郷土玩具の一つに数えられている。戦前は、子どもたちが「おっさん、トラおくれんか」という声が祭りの風物詩となっていたが、戦後は参拝者が無病息災・家内安全を願って買い求め、祭典委員や巫女さんの手により授与されている。神農祭は、大阪の祭りが1月の「十日えびす」で始まり、神農祭で終わることから、「とめの祭り」とも呼ばれている。

現在地からルート検索
ホームページ
http://www.sinnosan.jp/
所在地
〒541-0045 大阪市中央区道修町2-1-8
交通機関
地下鉄堺筋線「北浜駅」より徒歩2分
施設情報
●利用時間 6:00~18:30
●問合せ先 TEL:06-6231-6958 FAX:06-6231-6970
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
10 人中 8 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
浪華名所図屏風

 8曲1双の中型屏風で、17世紀末頃の大阪を描いたものである。かなり横長の画面に、江戸時代” 天下の台所”、”水の都”としてにぎわった大阪のようすが、丁 …

青山ビル
青山ビル

●蔦(つた)に覆われたレトロビル  堺筋から伏見町を西へ入ると、甲子園球場から株分けされた蔦で覆われたビルが建っている。このスペイン調のビルは、大正10年(一九二一)、輸入食料品店などの経営者だった野 …

北浜レトロビルヂング

●緑の屋根に赤いレンガの館  明治45 年(一九一二)、株仲買商の商館として建設される。戦後は建築資材専門商社「桂隆産業」の本社として使用されていた。  北浜を賑わした時は去り、長年眠ったように、放置 …

田辺三菱製薬史料館

 田辺三菱製薬株式会社は道修町の本社ビル2階に「史料館」を開設、無料で一般公開をしています。大阪・道修町(どしょうまち)は全国の薬種流通の中心地。日本の薬業のルーツであり、江戸時代より「くすりの町」と …

新井ビル

●堺筋がみていた大正モダン  大正11年(一九二二)、造幣博物館や神戸地方裁判所などで有名な河合浩蔵(かわいこうぞう)の設計。大日本報徳銀行大阪支店として建てられたが、のち新井証券を経て新井ビルとなる …