高麗橋

こうらいばし

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高麗橋

●高麗橋の始まり
大坂城の外堀として開削された東横堀川に架 かる橋で、築城と同時に天正11年(一五八三)から工事が始められた。3年後に完成。慶長9年(一六〇四)には擬宝珠(ぎぼし)を持つ立派な橋となった。橋の名の由来は、古代朝鮮半島(高麗)からの使節を迎えるためにつくられた迎賓館の名前、高麗館(こまのむろつみ)からついたとするもの、秀吉の時代、この橋の付近が朝鮮との通商の中心地で、商人が集っていたことからついたとい うものなどがある。

●高麗橋をめぐる戦い
豊臣と徳川の大坂冬の陣・夏の陣では横堀川に架かる橋をめぐり熾烈な攻防戦があった。特に高 麗橋をめぐっての戦いは激しかった。擬宝珠は徳 川方の安藤右京之進重長(あんどううきょうのしんしげなが)が戦利品として持ち帰り、安藤家に永く伝えられていた。昭和44年(一九六九)、故郷の大 阪に帰り、大阪城天守閣に保存されている。

●交通の拠点
高麗橋は、江戸時代「公儀橋」として幕府が直 接管理。明治に入ると、イギリスより輸入された鉄橋に架け換えられ「くろがね橋」と呼ばれた。西日本の主要道路の距離計算はこの橋を起点として決められた。現在の橋は昭和4年(一九二九)に架けられた鉄筋コンクリート製のアーチ橋である。欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷を模した親柱が、橋の歴史を物語っている。なにわ名橋50選の一つ。

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所在地
中央区東高麗橋~高麗橋1丁目
交通機関
● 地下鉄堺筋線「北浜駅」
● 京阪電鉄「北浜駅」
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