川口遊里図屏風

かわぐちゆうりずびょうぶ

投稿日:

川口遊里図屏風

 江戸時代前期に木津川河口の港、三軒屋にあった遊里の賑わいを描いた屏風。10曲という絵巻を思わせる横長の画面いっぱいに奔放に遊里の情景を展開し、服飾、建築、船舶、漁労、食事、商いなど、当時の人々の暮らしを知る上で貴重な情報が画面に豊富に盛り込まれている。

 三軒屋の遊里は、明暦3年(1657)に新町ができたときに、そこに統合されているので、本図はそれ以前の様子を描いたものだろう。人物の髪形や服装、絵画史上の様式でも江戸時代前期の特徴を明瞭に示している。遊女と客の悲喜こもごもの人間模様をおおらかに描き、明るい雰囲気が画面を支配している点は特筆される。近世という新しい時代の活力を読み取ることができる。
 川に面した遊里の板場では、襖一つ隔てた揚屋への仕出しの準備に余念がない料理人の様子などが克明に描かれており、現代の”食いだおれ大阪”に通じる活気が画面にあふれている。魚介や鳥、野菜など、豊富な食材が用いられ、爼板上で包丁を動かす者、うちわで炭火を加減する者、大根の皮をむく者など、料理人たちの姿が生き生きと表現されている。これまでにも風俗画の名品として知られ、食文化の歴史を考える際にしばしば取り上げられてきた。

 画面の向って左側は河口で、西国諸藩の旗印を掲げた御用船が藩からの年貢米を積んで大阪の蔵屋敷を目指す様子なども描かれている。画面を横断するように川面を埋め尽くす大小の船の往来は、” 出船千艘、入船千艘”といわれた水都大阪の活況を如実に伝えるビジュアル資料としても大いに注目される。

 江戸時代前期の大阪の風俗画はその遺例が極めて少ない。特に本図は美術作品としての完成度も高く、貴重な作品である。

現在地からルート検索
ホームページ
https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000008917.html
所在地
大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)
交通機関
Osaka Metro(大阪メトロ)谷町線・中央線「谷町四丁目」駅
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
0 人中 0 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
重要文化財「愛珠幼稚園」

 大阪市立愛珠幼稚園の創立は明治13年(1880)、創設者は、船場北部(現中央区平野町以北)の連合町会です。  園舎は、最初、現在の北浜4丁目(大阪倶楽部北側)に建てられましたが、明治22年には連合町 …

大阪活版所跡

●近代印刷の幕明け 明治3年(一八七〇)、大阪商工会議所の初代会頭・五代友厚(ごだいともあつ)の要請を受けた本木昌造(もときしょうぞう)が創設した活版所の跡である。 木版印刷が主流だった頃は、印刷に莫 …

城中焼亡埋骨墳

●大坂城で命を落とした兵を弔う  大阪城玉造門の南側にある。明治元年(一八六八)戊辰戦争のとき、燃える大坂城から逃げ出さずに自害した幕府軍の兵士をたたえて、薩摩・長州藩が共同で建てた。

北組惣会所跡・南組惣会所跡

●町人が中心となって町政を司る  江戸時代の大坂は、大川以南から本町通までの北組、本町通から道頓堀あたりまでの南組、大川以北の天満組に区分され、その3組を総称して大坂三郷と呼ばれていた。  各組には自 …

大坂橋

●大阪城を眺める絶好のポイント 大正14年(一九二五)、東横堀川の土砂を掘削する際、川底から「大坂橋 天正拾三年」(一五八五)の名が刻まれた擬宝珠(ぎぼし)が見つかった。大阪城天守閣に保存され、市民に …