大阪城小天守台にある幕末の青銅製大砲である。文久3年(1863)に美作津山藩の鋳工百済清次郎が幕府の命により製作し、天保山砲台の備砲であったと伝えられる。明治になって大阪城へ運ばれ、陸軍により明治3年(1870)から同7年(1874)まで朝昼晩の時報として、それ以降は正午の時報として号砲を轟かせた。「お城のドン」として市民に親しまれていたが、大正13年(1924)に中止された。
江戸時代に製作された和製大砲として希少であり、遺存状態も良好である。
また、砲架は昭和61年(1986)に修復されたが、大砲と同時に作られた幕末の砲架と考えられている。修復に際しては、再利用できるものはそのまま使用され、当初の姿に復元されている。
法量 : 砲身全長 352cm 砲身重量 2.4t
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