天満橋
てんまばし
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投稿日:2011/11/24 更新日:
●町役人が行き交った橋は今、2階建て
江戸時代、難波橋・天神橋と並ぶ浪花の三大橋の一つで、幕府の直轄管理である公儀橋の一つでもあった。北区天満と中央区天満橋京町を南北に結んでおり、今も昔も人々の生活上なくてはならない連絡橋である。
当時、東西の町奉行所が天満橋の南側にあり(のちに西町奉行所は本町橋東北詰に移転)、北側には役所の倉庫や町与力の屋敷が並んでいた。天満橋はお役人らの通勤・連絡経路として利用された。
明治18年(1885)7月はじめの大洪水により橋が流され、その後、鉄橋に架け換えられた。
現在、天満橋の上は土佐堀通りをまたぐバイパス道路が走り、2階建ての構造になっている。
なにわ名橋50選の一つ。
所在地
大阪市北区天満1丁目〜中央区大手前1丁目
交通機関
●地下鉄谷町線 天満橋駅
●京阪電鉄 天満橋駅
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