旧小西家住宅

漆黒の国重要文化財

次の言語でも読めます: English, 한국어, 简体中文

投稿日:2013/01/21 更新日:

旧小西家住宅

● 重厚で豪壮、町屋の長大な表屋造り。
堺筋沿いに、漆黒の木造で国の重要文化財に指定された大阪の貴重な建築がある。明治33年(一九〇〇)着工。315坪に間口26mの表屋(店棟)、3階建ての母屋(主住棟)、衣裳蔵、二階蔵、三階蔵が現存する。
工期に3年を要し、栂(つげ)の良材をふんだんに用いた。数寄屋風の趣を有し、付書院の欄間(らんま)の格子など、部屋ごとに斬新な細部の意匠がみられる。明治44年(一九一一)に堺筋拡張のため、西側間口4間が道路用地に供され、また関東大震災後に母屋3階が危険だとして取り壊された。

● 明治の商家の暮らしを今にみる
間口10間にずらりと格子戸を巡らした1階。2つの土間を通って台所へ。天井は湯気や煙を逃すよう工夫された高い吹き抜け設計。50人以上の食事を賄った大きな「へっつい」(かまど)や井戸は今もある。また、蔵と店の間には運搬用にトロッコのレールが敷かれていた。谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)の『春琴抄』に描かれる道修町の薬種商は、小西邸の屋敷、暮らしがモデルといわれていた。

● 進取の精神に富む初代と努力の2代目
安政3年(一八五六)、薬種業を始めた小西儀助(こにしぎすけ)。大阪で初めて民間で電話を設置した。
2代目・儀助は明治17年(一八八四)にアサヒビールの前身となる「アサヒ印ビール」を製造する。4年後には「赤門印葡萄酒」を製造販売。この頃の奉公人の中に、のちのサントリー創始者・鳥井信治郎(とりいしんじろう)がいた。
100年を超える歳月の間、従業員らが力を合わせて、たび重なる空襲と阪神・淡路大震災を乗り越え、現在は合成接着剤のメーカーとしてこの黒壁の館を守っている。

小西家住宅
小西家住宅
小西家住宅
現在地からルート検索
ホームページ
http://www.bond.co.jp/konishishiryoukan/
所在地
大阪市中央区道修町1丁目6番9号
交通機関
● 地下鉄堺筋線 北浜駅
● 京阪電鉄 北浜駅
施設情報
入場無料(完全予約制)
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
3 人中 3 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
大阪証券取引所ビル

●ドームの外観を残したシンボルタワー 大阪屈指のビジネス街・北浜。昭和10年(一九三五)に建った旧大阪証券ビル市場館は、シンプルなデザインでありながら、列柱が並ぶ楕円筒のエントランス部分が、北浜のラン …

少彦名神社サムネイル
少彦名神社

●「神農さん」と呼ばれるわけは 大阪・船場の道修町(どしょうまち)にある少彦名神社は、「神農(しんのう)さん」とも呼ばれ、親しまれている。江戸時代、薬種商は、中国医薬の祖とされる神農氏の像や掛軸を床の …

栴檀木橋
栴檀木橋

●諸藩の蔵屋敷と船場を結ぶ  橋が架けられたのは江戸初期。土佐堀川では最大の規模をもっていた。現在の橋は昭和60年(一九八五)に直線美を生かした旧橋のイメージを大切にしてつくられた。橋筋に大きな栴檀( …

高麗橋

●高麗橋の始まり 大坂城の外堀として開削された東横堀川に架かる橋で、築城と同時に天正11年(一五八三)から工事が始められた。3年後に完成。慶長9年(一六〇四)には擬宝珠(ぎぼし)を持つ立派な橋となった …

田辺三菱製薬史料館

 田辺三菱製薬株式会社は道修町の本社ビル2階に「史料館」を開設、無料で一般公開をしています。大阪・道修町(どしょうまち)は全国の薬種流通の中心地。日本の薬業のルーツであり、江戸時代より「くすりの町」と …