空堀・直木三十五記念館→住友銅吹所跡→松屋町筋→近松門左衛門墓所→井原西鶴墓所→高津神社→中寺→大槻能楽堂
空堀 直木三十五記念館(上町台地コース) 「町家とともに残る懐かしい風情」
上町筋から松屋町筋まで東西800mの商店街。豊臣時代に大阪城の南の守りとして、水のない「から」の外堀がつくられたのが名前の由来です。昔ながらの情緒を生かそうと、古い長屋・町屋の再生など市民団体による、まちづくりが進んでいます。空堀文化の拠点として、店舗を集めた建物の2階には、直木賞の名前で知られる直木三十五の記念館があります。別棟ではレンタルサイクルもあり、まちめぐりに便利です。カフェや雑貨店も集まり、商店街と不思議な調和を見せています。
住友銅吹所跡(上町台地コース) 「大阪にあった日本一の銅吹所」
江戸時代の大阪は銅精錬業の中心地で、水運に便利な堀川沿いに多くの銅吹所があり、海外へも輸出していました。中でも全国一の規模だったのが住友銅吹所です。寛永年間(一六三〇年代)に住友家二代友以(とももち)によってつくられ、幕末には、オランダ人シーボルトも見学しました。発掘調査により、敷地の東半分には約80基の炉跡などがあり、西半分には元禄初期に建築された住友屋敷があったことがわかっています。勘定場部屋の下の石組穴蔵は、地下金庫として金銀が収納されていたようです。
松屋町筋(上町台地コース) 「人形と玩具のまち「まっちゃまち」」
人形(ひとがた)を流して厄払いをした古代の日本人。江戸時代には節句の風習と結びついて雛人形、五月人形などの節句人形が生まれました。
「まっちゃまち」の呼び名で親しまれる松屋町筋は、中央大通りから南へ約1kmの道沿いに、節句人形や玩具の問屋が数多く集まる人形のまち。近くに「瓦屋町」の町名があるように、近世の大阪のまちづくりに必要な大量の瓦がこのあたりで焼かれ、やがて瓦職人が素焼きの人形をつくるようになって、人形店が建ち並ぶようになったと言われています。
近松門左衛門墓所(上町台地コース) 「ひっそりと眠る近世演劇の巨人」
武士の家に生まれながら、芸能の世界へ入った近松門左衛門は、享保9年(一七二四)に72歳で亡くなるまで、浄瑠璃や歌舞伎の作者として数々の傑作を遺しました。特に『曽根崎心中』のように実際に起きた心中事件などを、現代のニュースのような感覚で取り上げた作品は当時の流行となり、観客の町人たちは悲劇に涙を流しながら見入りました。
近松の墓はもともと法妙寺の境内にありましたが、寺が移転したため、今は墓だけがビルの合間の細い路地の奥に残されています。
井原西鶴墓所(上町台地コース) 「浮世草子を確立し俳諧でも活躍」
近松門左衛門、松尾芭蕉と並ぶ、上方元禄文芸の巨匠、井原西鶴は、寛永19年(一六四二)、大阪の裕福な商家の家に生まれました。経済のバブル期であった元禄時代、浮世(現実の世相)を背景に、愛欲や金銭に執着しながらも自分の才覚で生き抜く人々の姿を描き、「浮世草子」というジャンルを確立しました。住吉大社で一昼夜23500句の俳句を詠み、多数吟の最高記録もうち立てています。
井原西鶴の墓は誓願寺にあり、私塾「懐徳堂」を設立した中井甃庵(しゅうあん)など中井一族の墓もあります。
高津神社(上町台地コース) 「仁徳天皇を仰ぎ落語の舞台にも」
仁徳天皇を祀る神社。仁徳天皇は人家のかまどから立つ煙が乏しいのを見て、生活に苦しむ人々から税を取るのをやめた話で知られています。神社はかつて大阪城付近にありましたが、秀吉の築城に際してこの地に移転しました。江戸時代には寺や神社の修理基金を集める目的で富くじ(宝くじ)が盛んに行われ、「高津の富」という落語の舞台にもなりました。今の絵馬堂のあたりは全国に知られた展望の名所で、望遠鏡を貸して大阪のまちを説明する「遠眼鏡屋」という商いもあったそうです。
中寺(上町台地コース) 「寺を盾にした豊臣秀吉の戦略」
豊臣秀吉が大阪城を築いて城下町整備を行った時、多くの寺院を集めた「寺町」が、我が国で初めてつくられました。寺を集めることで、合戦の時の防衛ラインにしようと考えたのです。実際に、大阪夏の陣では、大阪城から四天王寺にかけて西軍と東軍の激しい戦いが行われました。現在でも、木造の古いお寺が残っています。人形浄瑠璃の発展に寄与した豊竹若太夫や歌舞伎役者の墓所、梶井基次郎の墓所が境内にある寺もあります。
大槻能楽堂(上町台地コース) 「歴史ある舞台芸能・狂言を継承」
大槻能楽堂は、能や狂言を中心に上演する全502席の能楽堂です。大阪城最大の石垣の石面を実物大に写し取った橋掛かりの背景などの特徴があります。能楽は約600年の歴史がある、現存する世界最古の舞台芸術です。物まね芸能であった猿楽は、鎌倉時代、能と狂言に分かれました。能は悲劇的な歌舞劇で、主人公の多くは幽霊。自らの人生を語る中に、人間の本質や情念が描かれます。それとは対照的に、狂言は猿楽から笑いの要素を取り出したもので、たいていは能と一緒に演じられます。