2013年に生誕360年を迎えた近松門左衛門にちなみ、代表作の1つ「心中天網島」に登場する橋(天神橋・天満橋・京橋)を取り入れた散策コースをご紹介します。
施設名をクリックすると個別の紹介記事をご覧頂け得ます。 | |
1.難波橋 ↓ | 難波橋は江戸時代、天神橋/天満橋と共に「浪花三大橋」と称された長大橋でした。 |
2.天神橋 ↓ | 江戸時代、大阪隋一の長橋でした。天満天神社が管理することから天神橋と呼ばれるようになったといわれます。 |
3.八軒家浜船着場 ↓ | 天満橋付近は江戸時代、八軒の船宿があったことからその名がついたといわれます。京都と大坂を結び行き来した三十石船の船着き場としても栄えました |
4.天満橋 ↓ | 東西の町奉行所が橋の南に、役所の倉庫や町与力の屋敷が北に並び、当時の天満橋は役人の通勤・連絡路として利用されました。 |
5.京橋 ↓ | 大阪城の北玄関口にあたる橋で、京都へ向かう京街道や大和街道の出発点でもありました。 |
6.大阪城 | 現在の天守閣のモデルは大坂夏の陣図屏風に描かれた姿といわれます。最上階の展望台からは大阪の街並みを一望できます。 |
心中天網島 「道行名残りの橋づくし」
<あらすじ>
この作品の主人公は、遊女・小春(こはる)と、妻子ある紙屋の主人・治兵衛(じへえ)。恋人同士であった2人は、複雑に絡み合う人間関係の中で、ついに共に死ぬことを決意しました。
「道行名残の橋づくし」の冒頭、2人は天神橋(地図②参照)に立っています。夜半、堂島新地にある大和屋(やまとや)を抜け出した小春と、外で待ち受けていた治兵衛は、いくつもの橋を通り過ぎて、ここまでやってきたのでした。
天神橋から西を振り返り、嘆き悲しみながら、ここまで通りすぎてきた梅田橋、緑橋、桜橋、蜆橋、大江橋を思い起こします。さらに「あれをご覧」と難波小橋、舟入橋、堀川の橋を指し示し、涙にくれるのでした。天神橋の北には治兵衛の家がありました。家族を想って後ろ髪をひかれつつ、治兵衛は小春とともに天神橋を南へ渡ります。
川沿いに歩を進め、死の世界を思い浮かべながら天満橋(地図④参照)、京橋(地図⑤参照)、御成橋を渡り、ついに心中の場所である、網島の大長寺にたどり着きます。そして夜が明ける頃、2人は大長寺で心中するのでした。