大阪銀座跡

おおさかぎんざあと

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投稿日:2017/03/08 更新日:

大阪銀座跡

●東京より先にあった大坂の銀座
銀座とは、江戸幕府の銀貨の鋳造・発行所のことである。慶長6年(一六〇一)、徳川家康(とくがわいえやす)が京・伏見で、堺の銀商・大黒常是(だいこくじょうぜ)に鋳造させたことに始まる。伏見では銀の品位を決め、通貨を製造していたが、慶長13年(一六〇八)には現在の京都市中京区に移された。時を同じくして大坂にも銀座ができたが、通貨の製造はせず、おもに生野・石見(いわみ)銀山の産銀や粗銅から抽出した銀を京都に回送していたようだ。銀座はこのほかに静岡と長崎にあり、東京の銀座は慶長17年(一六一二)に駿府から移されたものである。すべての銀座は明治元年(一八六八)に廃止される。3年後には造幣局が創設され、貨幣の製造を開始した。

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所在地
大阪市中央区東高麗橋2
交通機関
●地下鉄堺筋線「北浜駅」
●京阪電鉄「北浜駅」
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