●13の重要文化財
豊臣秀吉(とよとみひでよし)がつくった大坂城は、豊臣家の滅亡とともに失われ、現在残っているのは徳川時代になって再建されたものである。敷地内の建築物は櫓5つ、塀3つ、城門2つ、蔵2つ、井戸屋形1つの計13個が重要文化財に指定されている。
●長大な石垣を築いた武士たち
秀吉の大坂城より規模の点で劣る徳川家の大坂城だが、それでも全長12㎞という長大な石垣に圧倒される。使われている石は50〜100万個と推定され、最も高い場所で水面から24.5m。そびえたつ石組みは圧巻である。この石垣は、当時の徳川家傘下の大名たちの手でつくられた。
●270年間存在しなかった天守閣
豊臣秀吉が天正11年(1583)に築城を開始したのが、最初の大坂城。慶長20年(1615)の大坂夏の陣での落城後は徳川家の管轄となり、元和6年(1620)から再建が始められた。だが寛文5年(1665)の落雷以後約270年、天守閣は存在していなかったことを知る人は少ない。その後、戊辰戦争による戦災や、陸軍用の敷地としての管理、空襲での被害などを経て、現在に至る。
●市民の寄付が生み出した現在の姿
現在の天守閣がつくられたのは、昭和6年(1931)。当時大阪市長だった關一(せきはじめ)氏の提案で、復興費は全額市民からの寄付であり、建設された天守閣は、大阪の新たなシンボルとして注目を集めた。天守閣のモデルとされたのは、大坂夏の陣図屏風に描かれた姿だという。さらに建築監督には一介の町の建築家を大抜擢するなど、完全に市民の手に委ねられた復興計画であった。
●中は博物館として歴史を伝える
天守閣の中は、近代的な歴史博物館になっていて、秀吉や大阪城の歴史を学ぶ場所になっている。ジオラマやシアタールームなどの設備も整い、また最上階の展望台からは大阪のまち並みを一望できる。展示室では、約2カ月ごとに収蔵品を入れ替えている。
★もっと深く知ろう!
【大名のマークを探せ!】
石垣の石には、その場所を担当した大名を表す印が刻まれているものがある。黒田家は□、加藤家は◎、池田家は┐の刻印である。なかなか意匠豊かなマークが揃っていて、自分の仕事をアピールしようとした大名たちの思いがおもしろい。
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●開館時間:9時〜17時(入館は16時30分まで)春夏秋に時間延長あり
●入場料:600円