道修町が薬のまちといわれるようになったきっかけは、寛永年間に堺の豪商小西吉右衛門が道修町で薬種商を開いたこととされています。
幕府公認の「道修町薬種中買仲間」が、道修町に集められた諸薬種を検査し適正価格を定めて独占的に全国に供給していました。現在でも道修町界隈には多くの製薬会社や医薬品関連会社が立ち並んでいます。
また、江戸時代からこのあたり一帯は、町の人たちが子弟や丁稚のためにお金を出し合って塾や学校をつくり、商売と勉学を両立させていました。大阪薬科大学や大阪大学薬学部のルーツも道修町にあります。
※手前にみえる和風建築は旧小西家住宅(小西儀助商店)。
近代大阪の町屋を集大成した国の重要文化財です。