伝統芸能・文化を育み、歴史を受け継ぐ船場の地
中央区 マスコットキャラクター ゆめまるくん

大坂城が築城されたころ、寺社仏閣が多数移転されました。「太閤さん」で有名な豊臣秀吉が大坂城周辺のまちを強固なものにするため、様々な寺社仏閣等を移転しました。
天正10(1582)年、大川の南岸、八軒屋・渡辺の津(現在の中央区石町付近)から現在の中央区久太郎町に遷座した坐摩(いかすり)神社は、上方落語寄席発祥の地といわれています。現在でも寄席や落語が行われるほか、毎年秋の船場まつりのなかで「せんば鎮守の社芸術祭・音楽祭」というオペラと音楽の奉納も行われています。
江戸時代から船場のまちでは多くの芸能や文学が生みだされ、育てられてきました。文楽、歌舞伎、俳句、演劇など、いまでも船場の街なかにはゆかりの地や史跡が多く残っており、その足跡を楽しむことができます。

難波神社の他に、御霊(ごりょう)神社には文楽座之跡という文楽座の碑があります。2座が競ったことで、人形浄瑠璃は再び人気を博したといわれています。

元禄時代を代表する文人の一人、松尾芭蕉。元禄7(1694)年、旅の途中で体調が悪化し南御堂前の花屋の座敷で死去、享年51歳でした。

阪神高速道路の本町出口近くの植え込みにあります。井原西鶴は俳諧師・小説家。石碑には「日本永代蔵」の一節が刻まれています。

オッペケペー節で知られた川上音二郎が、新しい演劇の拠点として明治43(1910)年に建築したのが帝国座。大阪初の純洋式劇場でした。

坐摩神社の境内には、江戸時代後期、初代桂文治が開いた咄の席が、上方落語寄席興行のはじまりと記されています。

芭蕉の句碑の隣には、句会で指導にあたっていた山口誓子(やまぐちせいし)・阿波野青畝(あわのせいほ)の句碑も建っています。
南御堂(真宗大谷派難波別院)

伝統芸能・文化の足跡

難波神社が現在の場所に移転したのは、安土桃山時代で、豊臣秀吉が大坂城を築城するにあたって、大江の坂平野郷(現在の天王寺区)から移しかえたといわれています。
難波神社はその時、秀吉の庇護を受け、約6万坪もの敷地を持つに至ります。
ところが大坂夏の陣で豊臣家が没落すると、難波神社もその余波を受け、敷地も大きく縮小されました。それが現在の難波神社にそのままつながっていきます。

中央区 マスコットキャラクター ゆめまるくん
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