大坂城が築城されたころ、寺社仏閣が多数移転されました。「太閤さん」で有名な豊臣秀吉が大坂城周辺のまちを強固なものにするため、様々な寺社仏閣等を移転しました。
天正10(1582)年、大川の南岸、八軒屋・渡辺の津(現在の中央区石町付近)から現在の中央区久太郎町に遷座した坐摩(いかすり)神社は、上方落語寄席発祥の地といわれています。現在でも寄席や落語が行われるほか、毎年秋の船場まつりのなかで「せんば鎮守の社芸術祭・音楽祭」というオペラと音楽の奉納も行われています。
江戸時代から船場のまちでは多くの芸能や文学が生みだされ、育てられてきました。文楽、歌舞伎、俳句、演劇など、いまでも船場の街なかにはゆかりの地や史跡が多く残っており、その足跡を楽しむことができます。