●中国の高級食品は日本の輸出品
「俵物」とは、江戸時代、干しアワビ・フカヒレなど、俵詰めにしていたことによる呼称で、「ひょうもつ」とも読む。
当時、俵物は中国の高級食品として需要が高く、輸出されていたが、銅の替わりに海外貿易の決済としても使われた。
元禄11年(一六九八)、幕府は銅に替わり、干しアワビなどを輸出商品とした。明和元年(一七六四)にはフカヒレも加わり、幕府の専売となる。海外への金・銀・銅の流出が激しいため、俵物に置き替えたのである。
そのため延享元年(一七四四)、幕府は俵物を特定の商人しか売買できないように独占集荷体制を成立させた。その統制下で売買できる場所を「会所」と呼んだ。俵物流通の拠点である。
延享2年(一七四五)に長崎俵物会所が、同4年(一七四七)に大坂、下関にも設置された。大坂俵物会所は当初、備後町にあったが、安永6年(一七七七)、現在の石碑の建つあたりに移った。
しかし天明5年(一七八五)には、幕府が設置した長崎会所の俵物役所が独占的に集荷するようになったため、あまり機能はしなくなったが、会所そのものは明治のはじめまで続いた。
●京阪電鉄「北浜駅」