熊野街道

くまのかいどう

次の言語でも読めます: English

投稿日:2012/09/14 更新日:

熊野街道

●平安時代より続く道
京都から大阪を経て、熊野権現の分霊を祀った九十九(つくも)王子をたどりながら、熊野三山へ至る道。それが「熊野街道」である。平安時代中期から鎌倉初期にかけて王朝貴族を中心に熊野信仰が盛んになり、中でも、後白河(ごしらかわ)上皇は34回、後鳥羽(ごとば)上皇は28回も行幸(ぎょうこう)した。
やがて、武士や庶民にまで信仰が広がり、大勢の人々がこの街道を往来したことから「蟻の熊野詣」と呼ばれた。

●大阪が街道の出発点
熊野詣の道は京都から船で淀川を下り、渡辺の津(現・八軒家船着場跡付近)に上陸。九十九王子の最初の王子、「渡辺(窪津)王子」で旅の安全を祈願して、御祓筋(おはらいすじ)を南下することから始まる。
天満橋の交差点から土佐堀通の南側を西に進むと、八軒家船着場跡の石碑。それを通り越すとすぐ御祓筋である。角に熊野街道出発地の石の案内板がある。ここが熊野街道のスタート地点である。土佐堀通をさらに西に進み、1筋めをすぐ南へ曲がると、渡辺王子があったとする説が有力な坐摩(いかすり)神社行宮(あんぐう)がある。本町通、中央大通を越えると南大江公園。このあたりに、2番目の王子「坂口王子」があったと伝えられている。ここから街道は、海岸線・崖があったとされる場所を避けるように上町台地へと向かう。旅の目印だった「榎大明神」の一つ前の通りを東に入り、谷町筋を越え、最初の筋を南へ。四天王寺まで道が続く。
3番目の王子「郡戸(こうと)王子」と4番目の王子「上野王子」はこの間にあったと伝えられている。それぞれの跡であると思われている場所に、石碑が建てられている。

●四天王寺、阿倍野、そして熊野へ
四天王寺から谷町筋を下り、チンチン電車を横目に見ながら阿倍野筋を歩き、松虫通付近から旧街道が残る道に進むと、大阪府下で唯一現存している王子社「阿倍王子神社」に到着する。街道は住吉大社、泉州を経て、いにしえより受け継がれてきた世界遺産までつながっている。

■もっと深く知ろう
【九十九王子】
街道にある王子とは、熊野権現の分霊を祀った「王子社」のことで、旅の祈願だけでなく、休憩所や道標としての役割も兼ねていた。また「九十九」は実際の数ではなく、数が多いという意味で使われている。
熊野街道坂口王子伝承の地
(朝日神明社跡;神崎町 南大江公園)

現在地からルート検索
所在地
大阪市中央区天満橋京町3番(起点) 土佐堀通交差点南東側
交通機関
地下鉄谷町線/京阪電鉄「天満橋駅」
この記事は役に立ちましたか?
役に立った 役に立たなかった
7 人中 5 人がこの 記事 は役に立ったと言っています。
同じエリアにこんなスポットがあります!
高麗橋

●高麗橋の始まり 大坂城の外堀として開削された東横堀川に架 かる橋で、築城と同時に天正11年(一五八三)から工事が始められた。3年後に完成。慶長9年(一六〇四)には擬宝珠(ぎぼし)を持つ立派な橋となっ …

栴檀木橋
栴檀木橋

●諸藩の蔵屋敷と船場を結ぶ  橋が架けられたのは江戸初期。土佐堀川では最大の規模をもっていた。現在の橋は昭和60年(一九八五)に直線美を生かした旧橋のイメージを大切にしてつくられた。橋筋に大きな栴檀( …

少彦名神社サムネイル
少彦名神社

●「神農さん」と呼ばれるわけは 大阪・船場の道修町(どしょうまち)にある少彦名神社は、「神農(しんのう)さん」とも呼ばれ、親しまれている。江戸時代、薬種商は、中国医薬の祖とされる神農氏の像や掛軸を床の …

くすりの道修町資料館
くすりの道修町資料館

●350年の歴史保存  道修町の寄合所には、350年前から道修町に関する貴重な資料が保存されてきた。平成9年(1997)10月、それらの資料を公開するために資料館が社務所の3階に開設された。  道修町 …

大阪会議開催の地

●三権分立の礎を築く 明治維新まもない頃、新政府の方針をめぐり政局は混迷を極めた。体制を固めようとする大久保利通(おおくぼとしみち)は、仲違いしていた木戸孝允(きどたかよし)や板垣退助(いたがきたいす …