森之宮遺跡展示室
もりのみやいせきてんじしつ
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投稿日:2011/11/25 更新日:
●大阪は昔、海の中だった
縄文時代の大阪は、大阪湾が今よりもずっと内側に入りこんでいたという。その海に突き出した岬にあったのが、今の森ノ宮だ。そこで発見された貝塚は西日本最大といわれ、大量のマガキやセタシジミの貝殻が出土している。塩水に生息するマガキから、淡水に住むセタシジミへの移り変わりが、河内平野が徐々に陸地になっていった経過を物語っている。
●縄文人の骨が安置
この遺跡からは当時の縄文人の骨が、多数見つかっている。昭和49〜50年(一九七四〜七五)に行われた第3次調査の際に発見された最初の人骨は「大阪市民第1号」と名付けられ、新聞にも報じられて話題になった。その後も発掘が進み、結果として計17体もの人骨が出土。そのうちの1体、30歳代の女性の骨が展示室に安置されている。屈葬という体を折りまげる当時の埋葬方式のまま、きれいな形で安置されている。
●古い由緒をもつ大阪という場所
発掘調査は、大阪市立労働会館(現・アピオ大阪)の新築工事に伴って行われた。発見された土器や人骨が展示されているのは、そのアピオ大阪の中にある森ノ宮ピロティホールの地下だ。「大阪市内で縄文時代を中心に扱った資料室は、ほかにはありません」と大阪市文化財協会。遺跡からは縄文時代だけでなく、弥生時代や古墳時代の遺物も発見されている。
所在地
大阪市中央区森ノ宮中央1丁目17番5号 森ノ宮ピロティホール地下
交通機関
●地下鉄中央線/長堀鶴見緑地線 森ノ宮駅
●JR環状線 森ノ宮駅
施設情報
●問合せ先:
大阪市教育委員会事務局
文化財保護担当 06-6208-9166
●入場料:無料
●開館:事前確認が必要です
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